前を見て歩いていく
人間同士のあらゆる関係を、未熟な関係性でしか成立しないと認識しているのなら、事実と妄想の切り離し程度は弁えてほしい。
道を歩いていて、急に理性という服を脱ぎ捨ててこちらに走ってくる者と遭遇すれば、そら逃げるし場合によっては通報する。
自分でも、感情が抑えられないからという理由だけで現実に通用するとは思っていないだろう。主語が無ければ所在が薄まるという話でもない。
「自分は目に見えない存在によってその他大勢から選ばれた人(神)」とか「自分以外(または特定の者以外)は化物だ」という妄想に生きていれば、たしかに精神病扱いされる。
しかし、妄想に生きていることは周囲からはなかなか判別されにくいので、たまたま精神病扱いされていないだけだ。
他人の意見や考えによって、自分のポジションやアイデンティティのすべてが決定されると認識しているのなら改めたほうがいい。
というのも、誰だってそうであるように、人は自分のすべて(意見や考え)をさらけ出すことはほとんど無いからだ。
そうなると、他人の思惑を根拠にして構成された自分(意見や態度)も無意味となる。
自分が事実だと思い込んでいる妄想が、現実を生きづらくしていたと気づくと、幾分楽になる。