自然は専ら
専ら春景色
赤く枝珊瑚のようです
笛は吹き揺れた
横並びのままきました
つつじの花も、みにいきましょう。
(出典:コトバンク)
宗教にもそれぞれ専門家がいらっしゃる。
行いと思いからなり、どちらかを軽んじていると
一途にとは通りません。
複眼して、いつどのような流れも同じくたどります。
わざが一定の規則をもつと術になります。
さらに上がると法になります。
それに道徳性が付与されることで道になります。
現象的なわざを、どうか道にまで昇華したいという願望はつねに諸事万端はたらいています。
作法もありかたとしては技術そのものですが、さて、宗教も道としてみるに望ましいのはその人柄や人格であるわけです。
「 一人の人間としてどうか 」という目線から入って、求めるところの望ましい相手か。急かずに観察したほうがいいです。
一部ですが、他者にたいして不当に「 紛いもの扱い 」する人は現実にいます。
いろいろの姿をみるなら、ある程度の距離は保つようにしておきます。