心の散歩
諸所参拝(五月中旬~)
ようこそいらっしゃいました
五月半ばから撮りためた写真を、ちょっと載せていきましょうね。
転がるなにか
見知ったご神域や景色ですが、その一瞬に生まれる結び(例えばAとB)があって、まさにその時をまっていた実(cを生む)がぱっとひらく。
「見立てた」ということにしましょうか。
実はその人の見立てによって変化するから、予想ができない。
気づき、といわれる話は、そういう人間の感性による面が大きいから、なおさら自然としたしむ時間は恋しいですよね。
コロナと並走して
これからをニューノーマルとするには、遅すぎた。また、早すぎてもたついている。
そんな感じ。
ただ今を憂うるまえにやれることはある。
その中に、これまで自然に出来ていたことって何か。ひるがえって、やらなくなったことにあたる何か。
今を生きるのに精一杯、苦しい。そんなときほど、かつて出来ていたことを簡単に忘れるんですよね。
単純なほど。
たとえば これまで自然に出来ていたことって何か。
まずほんの少し、お散歩しますか。部屋でもできることを。
まず窓をあけて風をいれてください。
なにもなくたっていいですが、夏の風鈴なんてあるといいですね。
私も去年購入した風鈴をかざろうかな。記事にも書いてたなぁ。
これ、参拝のときとそんなに変わらないんです。
神社の拝殿で鈴を鳴らすでしょう?
寺院などにある風鐸は軒下に吊るされていますね。
風鈴をわざわざ鳴らさないように、神社仏閣にいるあいだ自然の運んできた
「何か」を感じたい。
そこに涼を求めているだけではなく、たくさんの訪れを五感で受けとめています。
どんな音を連れてきましたか?
そろそろ、冒頭の「一瞬に生まれる結び」や「見立て」がなんとなく共有できたでしょうか。
「何か」は求めても、とても移ろいやすく、意識したときにはもう過ぎている。
この移ろいを日本は愛してきましたね。
古いでしょうか。
正直、この感覚を古代から繋いできていることで、常に新しい。
盛者必衰、起死回生、生生流転
うつろな中に、全も空も虚も入れてしまう。
うつ【 全/ 空/ 虚】 [接頭] 1 (全)名詞に付いて、すっかり、全く、全部の意を表す。
引用コトバンクより。
空と現を行き交い、空っぽのなかに現した「何か」が
常に新しくさせてきたのでしょう。
そうやって、空なる円は、その中に立つ人を黙ったままにはしてくれない。
ちょっとひと息。
呼吸、も自然に出来ていたこと。今はマスク越しなだけ。
古代の人もそうおもっていた、自然なことだと。
改めて古人の呼吸を知るのは、案外身近で、道とつく稽古は一番近い気もする。
縁者さん(親しみを込めて、さん)を通して学んだのは「丹田呼吸法」。
息を吸った後、息を静かに押し下げます。腹筋がほどほどに張るようになったら
少しの間保つ。そして出来るだけ長く同じ調子で息を吐きます。
すこし休んで、勢いよく空気を吸います。
息をできるだけ長く、常に流れるように吐いていき、息は徐々になくなるようにすることに集中します。
リズムは次第に慣れていきます。感想ですが、体の重心が丹田と呼ばれる肚へとおさまり、力を抜けば抜くほど四肢の感覚は鋭くなります。
やりはじめは軽い酸欠のようなめまいを覚えるのでほどほどがいいです。
私も数回、もうやだっ。てぐずりました。
これまで出来ていたけど、「やらなくなった」ことって何?
皮膚の下と上で交わす自然はどんな心地だっただろう。
この間を忘れないようにしたい。 間に合わなくなるまえに。
ふと思われたら、こんな風 にお試しあれ。
どうもありがとうございました。