しだいに純粋になっていく
こんばんは。
そうですか、見ましたか。
そのことですが、
ひょっとしたら、これまで魔法や法律によって人間性が変わるのだと思っているのだろうか。
個人が集団に働きかけるのではなく、集団によって人間性が変わるのだと思っているのだろうか。(安全、を考えたくなる)
男女のあいだに恋愛のようなものがまったく存在しなかったギリシャ時代
絶えず争い、また鎮めるために戦争をするだけであった戦乱の時代
それらの時代から、まったく人間性は不変であるとおっしゃるのだろうか。
よりよく生きていきたいと、つねに変わり続け、積み重ねてきたから今日があります。
外を見ているとよく感じる。
草がはえるように人間性も変わっている。ただ見たいところを見ているうちに、ある日思いもよらない長さまで伸びた草を見つけて驚く。
子どもは
自然のなかで生きているもの、育っていくものとして次々と学んで、それに合う言葉を自分のものにしていきます。
ニガイも、ほろニガイも、ためしにゆし豆腐の味噌汁のうえにはなって吸ってみた
子どもの私の口にひびく、にがいこと!
まだ実のわかい酸っぱさ、ころんと手のひらにのる甘さ、舌の上に広がる様々に、自然とその土地の人々の口にする言葉や表現を理解していく下ごしらえとなったことは、きっと、叶ったことでしょう。
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その話の場では
「執着を捨てろ。苦しむ感情を捨てろ」と言われたそうですが、それで苦しむ他人の何が分かったのでしょうか。
捨てるにしても感覚や感情は形がありません。目に見えないものはどこまでも自分事であり、他人に説いてまわらないと気がすまない様子は、本末転倒です。
つきあわざるをえない周囲の人たちにも、同じく自分事があるという現実を忘れてはいけない。
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なりゆきにまかせる、なるようになる、という言葉もあります。
しかし言葉の意味をわかって実用する人は少ない印象です。
自分が何を求めているかよくわかっていて、その上で言います。
言葉の意味がわからないと
いっこうに満足しないまま、これまで努力したのに不満がでてくる。長らくさまよい歩いた上、へとへとに疲れる。
一体自分が何を求めているのか、よくわからずに、何かを求めているということしかわかっていないからです。
〝何を求めているのか〟について、自分の感情が伝える場面は数えきれないほどあります。
「この私という物差しで、今において、誰を、はかろうとしている?」
健康的な姿勢で自己に問うことは
「さて、自分は正気であるか?」とチェックする習慣になっていきます。
感情に振り回されて疲れることがないように、自分が何を求めているのか、自分をみつめる習慣です。