底から洗い出す。洗えばソコじゃなかったと知る。

 

最近いくつかの、対人相談の声をきいた。

 

人間が嫌いだ、所詮人間はそんなもん(問題がある)だから、学びなおす為に

この世に生まれているという、よくあるような切り口。

他人事なので大変そうだなという気をうける。

 

そう話すテーマはどこか 女性嫌い が混入している。

 

よくよく言ってることと、やってることを深堀して聞いていくと

必ず理由にくい込んでいる。

上手くカモフラージュ出来ているなとさえ感じる。

 

 

内面・外面を往来しながら月日が過ぎ

地層となって覆われている。

叫びのような主張によって割れた層が、露呈してはじめて気づかれることが多い。

 

 

都合のいいところで女ぶる。都合のいいところで男ぶる。

そら、ぶるぶるしとったらドツボが待っている。

 

どっちも成れるのなら、どっちも自分であると

堂々とその姿で歩く。

 

詐欺まがいに、こそこそせびるようでは、堂々といかんでしょうよ。

根本では、嫌っている女性性を抱えながら

面目では、その世界のゆう理想の女性性を演じる

 

苦しいに決まっている

 

 

男やもめに蛆がわき女やもめに花が咲く

 

これを現実的に

生物としては男だから、そのように説かれているんだな。

生物としては女だから、そのように説かれているんだね。

 

いや、自分は家庭があるから、まだまだだから関係ない・・・。

ならどうして、他の生物に目移りしてしまうのだろうね

 

 

気づきはそこじゃない。

受けいれまいとする理由はほどなくして言い訳になる。

 

 

あなたの中に、すでに男性性も女性性も中性も備わっているということ

これを堂々と受け入れて、育てていくことが豊かな人間性に繋がっていく

 

惚れるのはそこでしょう

 

エネルギーでもあろう

欲が錯乱していたら、育てられないのが人間性です

 

 

貴方のためをおもって。きっと大変だろうと思っておもわず、体がうごいて‥。

貴方に言われたくない。自分の気持ちなんて誰も分かりやしない。

 

 

大抵、

自分が助けたときの恩は覚えていても、助けてもらったときの恩は忘れる。

その場をしのぐため無理くりに取り繕うも無理があった。

 

 

後に生まれた子どもも、すでに無意識のうちに納得している話です。

そんな人もまとめて見て思いやりは生まれたりする。

一緒くたに引き継がれる。

 

身内も含めた、誰かのために生きる だけではなく

誰でもない、自分がなりたかった姿 に気づけるのは、未知の人々や新しい世界を知ったとき。

変わりたいと決心してやっと、解放の道を歩く。

 

 

一寸の虫にも五分の魂

 

世話ができないなら手は出さない。

自分以外の存在に、敬意が払えるのであれば自然に理解できる。

 

「先は見えないから、人はなんとでも言えるわ。

君の責任はとらないけど、なんとなくその方がいいと思うのよ。」

 

と ここまで言えたら、清々しいな。

 

そこまで表明してくれたなら、相手も選ぶ判断がつくってものだ。