手紙

 

かつさん、おんやくしさん

 

いつもご配慮いただきありがとうございます。

勝手ながら、こちらから感謝の気持ちを伝えます。

 

呼吸 の続きですが、その後はお任せでした。

呼吸についてかつさんと繋がったことが、まわりまわって全体のためになったという感があります。

 

かつさん

いろいろお話ししました。

内情も知らずに、あずかり知らないところで勝手に当て込まれても、困ったものですね。

 

おんやくしさん

最後の記事について宛名は存じませんが、そのままがいいですね。

ご自身を、まやかしに嫌われている と仰っていましたね。

いいんでないでしょうか。

目立つからでしょう、それって。

「目立ちたい人」と「目立つ人」は根本から違います。

前者「繕ったメッキはそのうち剥がれる」

後者「常に直にして、自他を受容し敬うから無理がない」

見える行為にも見えない領域にも、何かしらの影響力を与えるのが人間性であり、それを自覚するのが最低限の品性でしょう。

 

 

自由でありながら、人と関わりながら、自分の好きなように生きる。

 

シンプルだからこそ、その姿がよくみえる。

 

おそらく世阿弥が念を押して伝える「初心忘るべからず」という言葉も

一定数の解釈では、曲がっているでしょう。

 

「初心忘るべからず」

これは、ただ漫然と初心に還れ、ありのままであれ、というのではない。

確固不抜のもと身体に覚えさせた動きがしみ込んでいるからで、そこには気持ちの準備やら心の‥といった曖昧模糊としたのが一切ない。

舞台のうえ

緊張して動けないのは誰だってそうです。そこででるのが実力なのでしょう。

ただ 自分の姿勢(意志)を見せないまま、口だけ動かすのは

さきの「目立つ人」を嫌う人なのだといえますよ。

 

 

 ~~ 諸人の心を和らげて、上下の感をなさんこと、寿福増長のもとゐ、かれい延年の方なるべし。

きはめきはめては、諸道ことごとく寿福延長ならんとなり

風姿花伝第五)

 

憶測だけですべてをわかった気になって、あぐらをかいていては廃れる。

ずっとしぬまで手を尽くすから、花に行き着くのだろうとおもう。

安心が欲しいゆえに自己を卑下したり

うろんな目で人と接する方は到底見つけられない花でしょう。

なんせ両者ともに、思い通りにしてやりたい、という支配欲が根底にあるのですから。

 

 

追記

去った愛猫については、厚くお祈りいただきありがとうございました。

そのときは火葬場から骨壺を抱いて帰りましたが、まだ熱いと感じる

その骨壺に涙がおちました。

私はたしかに愛している。過ごした日を誇りに思うのです。