自己嫌悪が好きになれない理由

 

 

テーマは、もう語り尽くされてきた感じなのかな。

それなら、こんな理由だよ とすぐ返ってきてもいいんじゃないか。

 

いいよね。わかっているなら、この世界で出会うあらゆる相互関係に

意固地に悩むことはないし、苦しむこともない。

 

 

諸事万端

 

問題にしたって、それに価値を与えるのは提起する人間じゃない。

与えるのは常に相手であり、自分だ。

他人から与えられた価値を、あなたが幸せと呼ぶなら、欲しがるなら

悩みと苦しみは永遠につきまとうよ。

 

あれこれが欲しい と望んだときの、本当の自分をみてますか?

あれこれは、形あるものだけでない。

周囲から得たのなら、評価もそうだ。

他人の評価を期待したなら、あなたは他人から取り立てる準備をしている。

それは現実に叶うまで、形になるまでずっと望んでいるのだから。

 

 

なんで、欲しいと望む存在・価値ではなく、自分をみるのか。

自分をみないのなら、どうやって掴むために「あなたは動く」のですか。

 

動機

あまりに自然なことだから忘れているのかもしれない。

 

すでに価値があるものが存在し、それを自分が欲しているから。では無い。

自分がその存在に価値を与えるから、それを欲している。で私たちは動いているんだ。

あなたの求心が動いたように、結果としてその類が、謎がすべての解答を引き連れている。

分かりやすいからって、自分以外に求めるなよ。

 

 

これが正解と、これが運命の‥と他人から「共感」「評価」として認められたら、満足するのか。豊かになったのか。

なんの判定かもわからない「反応」まで拾うのか。

 

共感を得られた人たちから、注目されたとする。

けれど、自分が注目されたかった一人からは、得られなかった。

それで自分の心が暗く淀むのは、共感しなかった人たちも含む周囲のせいじゃないし、その一人のせいでもない。

思い通りにいかなかった という悪感情を自分が持っている。

その悪感情を持っている自分が、今まで出会ったことのない面(顔)だから拒絶している。

 

根底では実際に拒絶しているのに、あなたの表面は

未知の面(顔)に出会ったことすら、、無かったことにしている。

 

だから、ずっとわからない。なんで理由もわからず自分が悩んでいるのか。苦しんでいるのか。

 

 

 

誰かのせいにして嫌うことで、あなたは安らいだか。

 

それで、安心したか。

 

 

 

 

 

理由は、一言で気づいた

 

 

 

そんな自分は好きか?