ありのままの中身

 

 

よく、そんな簡単なことがわからなかった。とか、なんで気づかなかったのだろう

と声高く告白する人がいる。

 

人は聞きたくないことは聞かない。

ほとんどの場合は、以下の流れで発見してきたのではないでしょうか。

 

それまで自分が受け入れたくなかった事実を、受け止めざるを得ない状況になった。

または

耳に聞き入れやすいように、どなたか存じ上げない方からうまい具合に調理してもらったから受け入れた。

 

 

聞くときも見るときも、ひどくフィルターがかかれば事実も歪む。

そこから抽出された発信を、どうして全て分かった気になれるのでしょうか。

ネット上の交流を通してだけ知ったその人物

その人物の発信したすべてが、その人物ではない。

 

あまりに生身の人間とのつながりが希薄になっているからか

これは思いやりによってもいくらかフォローできる。

 

それだけではない闇深さが根底にあるから、二元論にすがることで逃げてきたのだろう。

依存が過ぎるのも問題です。

ありのまま、も過ぎればどうなるでしょう。

「(自分だけが望む)ありのままでいい」だけ飲み込んで「思いやり」を捨てれば

自分の家族であっても、言い負かしてやりたい。

口達者に言いくるめたい。

 

目と目を合わしては言えないけど、ネットでは書き込んでもいいよね。

だって、思い通りになってくれないだもの。

 

 

という具合になる。簡単にのまれる。

現実生活では、ある程度ぶつぶついうことがあっても

「思いやり」があると、なかなかこっそり書き込もうとはおもわない。

 

なぜか?

 

信頼している人に、面と向かって伝えることもせず

他所で怒りを晴らしている。という事実が、なにより悲しいからです。

 

どれだけ相手は純粋に信じているか

あまりに身近すぎると、そこも見えなくなるのだろうか。

 

 

あまりに自然にやっている自分がいないでしょうか?

 

そこに起因する、関係する言葉をきいたとき

聞きたくない・見たくない と反応するのでしょう。

 

 

根底には、『依存している自分』がいます。

依存自体が悪いものではない。あることで循環する仕組みがあります。

問題は、『度が過ぎる』ということですね。

 

 

生身の人同士ではそう近くないが、ことネット上になると

簡単にディスタンスをまたいでしまう方々が散見されます。

最悪、人として超えてはいけないライン(尊厳)まで立ち入る状況もあります。

 

ありのまま、の過ぎたるはかな。

この辺り、たしなめる周囲が機能していないと

共依存→破滅の関係を生産していっていく方々が増えるのでしょう。

 

 

もし、そんな関係じゃない!と声をあげる方がいらっしゃるなら、信じたいとおもうなら

 

是非聞いてみてください。

あなたが寄りかかっている相手に。

 

思い通りにいかなくて、どうして?と相手に訴えたいその時

 

あなたは、今の私を誇れますか?と。

 

 

 

よくよく見つめたほうがいいです。気に入らない、本当は見たくないと感じる様子さえも。

 

 

これからその関係になろうとしている、

すでにその関係が成り立っている場合、

 

男性は深すぎるため息をついている。女性は執拗なほどに鼻息が荒い。

外面・内面ひっくるめて。

 

 

自分の思いのままにしたはずの相手がいたとして、その相手はあなたの知らないところであなたを誇らしくおもっているだろうか。

 

大切にしている存在ほど、ここまで考えるかと思うくらい謙虚になれるんです。

思い通りになることはほぼないです。ないからこそ、予想を遥かに超えていく幸せが待ち構えています。