どなたに宛てているのか。相手の心配事や問題は、あなたのものではない。

 

相手の納得できる理由や説明もないまま、心配していると言っているのか。

その中身は妄想であると気づいたほうがいい。

あなた自身も傷つけるし、妄想を言ってばかりの人間がどう見られているか知っているか。あなたは相手から軽蔑されるだろう。

 

あれこれと悪いことを想像して、一体何になる。

あなたは自分が心配するだけで、なにか相手のためにとても大切な世話を焼いていると思い込んでいる。

まるで実際の心配りであるかのように。しかし現実は自分の妄想と遊んでいるだけだ。

 

心配が癖になっている人は誰も信用していない。

あの人はきっと上手くいかない。あの人に出来るわけがない。仮に成功しても、あの人の周囲が優れているから、ふいの偶然なんだと思い込んでいる。

 

あなたは心配することをなにか大事なことのように言っているが

自分の決めこみから、起こりうる様々な悪いことを想像しているだけだ。

相手の不幸を願う妄想であなたの心配は埋め尽くされている。

 

過去や現在、果てには未来まで「心配している」「あなたのため」等と言って

相手が自分の願った通りに動くように支配したがる。

 

悪い癖だとわかっているけれど・・?

あなたは好きでやっているのだから、悪いとはおもっていない。

 

自分の決めつけを信じて、ずっと待っている。

そして起こりうる様々な悪いこと、不幸が起こったとき、心配ばかりしている人は「やっぱり心配したとおりだった」「思ったとおりだった」と小さく喜んでいる。

まるで、相手が自分の願った通りに動いたのだと感じて、喜びを覚えているのである。

 

慢心して人の自由を忘れる人はこれを美徳だとおもっている。

そのため、自分が支配できる範囲から相手が離れていかないように、あらかじめ相手の自由を禁じる。

そして、相手が離れていきそうなとき、実際に起きた悪いことや不幸な出来事を取り上げて「心配したとおりだった」「思ったとおりだった」(私が禁じた行為を破ったからだ)と言う時を、ずっと待っているのだ。