生まれくる幾万の花びら

芸術、科学、宗教

どの道も、人間は自然をはじめとして成長する。
言葉が言葉として通用する世界であり、いずれも思想の流通圏にいる。

思想の流通や交換という世界を持ち得なかった関係は、原始的な骨肉の情で交わらざるをえない。

 


外にひろがる自然
一枚の紙きれでは外に向かって飛ばすこともできない。
しかし、形を変えて紙飛行機にするとより遠くへ、高く飛んでいく。

人は物の形を変えて、不可能を可能にしてきたが、そうなると人間はどうだろう?
物理的に人間の形を変えることはできないが、意識や態度、言葉を変えることはできる。
変化は自分の周囲に影響を与える。やがて波及していき世界を変えることになる。
それはもちろん、よく変えることもできるし、悪く変えることもできる。

このことは何も、宗教や量子物理から教えてもらわなくても
たった一枚の紙の不思議さを見つけることで、知ることができるのだけれど。

 

だれもが生きていればこのような不思議を経験することになる。
経験は、つねに移ろう自然と人類との間にある通訳者だ。
私たちはいくつもの答えに包まれて、未踏の自分を知っていく。

 


今日、6月23日は沖縄戦戦没者らを悼む「慰霊の日」。
今年沖縄では「平和の礎」に刻まれた犠牲者全ての名前が、12日間にわたって読み上げられた。

見送った生死があるように、見送られなかった生死がある。
不幸にして、その一つひとつを確認できなかったとしても、その姓名において営まれた過去がある。刻まれているのは、後世の人間が索引するための数字ではない。