水音の便り

人を不安にするのは、実存する物事ではなく、物事についての意見だ。
人は起きた出来事をどのように考えるかで心を乱される。

 

問題にあたったとき、問題の中から教えを見出すのか。(その教えはたいてい個人的なものであり、なかなか他者に理解されないものでもある)

それとも、ことにあたり伴って生まれた人々の不安につけいるのか。


それらの意見が意図する力の行方に注目する。
まず、その人物や集団が〝何にたいして欲求・忌避するのか〟をよく知る必要があるためだ。


欲求の達成は欲するものを得ること。
忌避の達成は避けるものから出会わないこと。
欲していながらも得られないのは不仕合わせとなり、忌避しながらも出会うのは不幸となる。


となれば
その人物が、貧しさや病、死(避けられない対象)をひどくきらって避けるならば、その人物は不幸ということになる。

この対象が人同士(こんな人たちはきっと危ない、その出自だからこの結果なのだ等)に向かうと忌避意識になる。

 

 

 

 

 

本当のことはなんだろかと探求したところから、学び習う活動のベースとなる哲学という広大無辺な知が誕生した。

 

〝何にたいして欲求・忌避するのか〟

 

心にそなわる力が絶えずこの生を完成に向かわせる。