読んだこと聞いたことが不正確であれば、正しく表現することもできない。そこから生じるのは誤解や失敗、欺きの代償として貰う不満等となる。
書き込んだテキストと入力した自分は別人、というのはおかしな話だ。
行動がのった時点で、その言葉の性質はまず自分に向かう。
攻撃しているあいだはまさか自分は攻撃されないだろうと錯覚できる。
そう、錯覚でしかない。
そのような欲求が満たされたならば、のちに後悔と煩わしさが肩をたたく。
追記
攻撃しているあいだはまさか自分は攻撃されないだろうと錯覚できる。
人によっては、以下のような見方をしている実態があるので追記しておく。
これは、人が苦しんでいる姿を眺めるのが楽しいという表れでもある。
実際に他者が苦痛のなかにいる光景を眺めることにより
自身はその苦痛を回避できた、という実感を感じたいのである。
その欲求が過剰となれば、どのように取り繕うとも思わぬ観点から筒抜けになっていく。