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同じテキストが繰り返し並ぶことによる視覚効果
音をともなった声による抑揚と意味付け、節の長短の変化
このような生産的な現象がどうもみられない。字体が解体され始めると、不快感や焦りが生じるのだろう。テキストから目を離さない限りそれは続く。
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繰り返しに接近して
意図的に利用したならば、手段としてまとまった全体性を解体させるという目的が透けて気づける。
目は単調な繰り返しを避け、耳は繰り返しを養分に楽しむ。
人は何に価値を見出しているのか。
絵画も、その道具や出来事をとおして作者の意図が表現されている。絵画にかぎらずとも、こどもの頃から遊びを体験してこの尽きぬ面白さを知っているので色々と探求するわけだ。
ここでいう表現は、本人が意識しようがしまいが隠され続けることはない。それこそが、人が体を向けて価値を見出すものなのだから。
以上の内容を経験的に駆使する人は、さほど個人的にうんざりするようなことがない。
というのも、失敗の発見そのものが生きる素材になるからだ。
一日のいろいろな出来事を、心配なことや不愉快なこと、邪魔なことと見做していた。だが今は、一生という美しい織物を織りあげるための豊かな素材だと見做し、活かしている。
この目的のために頭上には可能性がおさまっている。知識人といわれる人々の意見が異なるのも、この多彩な人間的価値の現れであるからだ。